その瞬間、民主党の岡田克也代表は言葉を失った。九月十一日、夕刻。岡田氏はマスコミ各社の出口調査の結果を報らされたのだ。当落予想の報道合戦がはじまる二十時を待たず、野党第一党の党首は、数時間後に自らが置かれる状況をほぼ正確に把握した。結党以来の大敗、そして放列を敷いたカメラの前で辞任会見に臨む自分の姿を――。 代表選挙は十七日に行なわれる予定だ。この原稿を執筆している時点では、すんなり決まっているかどうかも含め、結果はわからない。だが、永田町から面白い人事案が聞こえてきた。菅直人元代表を国会対策委員長にしては、とのアイデアだ。国対の役割は、与野党で手を握り合う「五五年体制」型から対峙する「論戦」型に変化した。スキャンダルを含めた与党の「失策」を的確に捉え、攻めていくことは、存在感が低下する今後の民主党にとって生命線となる。国対委員長はメディアとの会見もひんぱん。糾弾好きの菅氏にはうってつけ、と思いきや、本人の気持ちは別のところにあった。「菅が何であんなにテレビに出ているんだ」。衆院選のさなか、党三役でもない菅直人前代表はテレビの討論会を行脚していた。菅氏周辺は「党から要請された」とするが、民主党幹部は「代表への再々登板」の色気を指摘する。年金保険料の未納問題で代表の座を滑り落ちた後に、四国にお遍路の旅に出掛けた菅氏は決して「成仏」してなどいなかった。だが、代表選出馬に必要な推薦人(二十人)を集めるにも苦労するほどの党内基盤の弱さが最大のネックで、「石原慎太郎都知事の後釜を狙っているのでは」(関係者)との観測も消えないのが実情だ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。