「初期原理主義のリーダー」メイチェンの遺産

執筆者:会田弘継2005年10月号

 十九世紀後半、ダーウィンの生物進化論に代表される「近代知」の発展とキリスト教信仰の間に齟齬が生じ出すと、近代に寄り添うように自由主義神学(リベラリズム)が生まれた。 聖書は科学ではない、イエスの復活の奇跡は喩えであるとして、近代におけるキリスト教の生き残りを図る。これに対し、聖書を字義通り信じることを信仰の核とする伝統主義神学の側から強い反発が起き、自由主義神学(モダニズムとも呼ばれた)への抵抗がじわじわと広がった。それ以前から大衆レベルで起きていた、終末論に彩られる新たな信仰復活運動も背景にあった。 やがて、攻撃的なまでに伝統的信仰を維持しようとする勢力はファンダメンタリスト(原理主義者)と呼ばれるようになる。 前号で紹介したノートルダム大のマースデン教授によれば英語の「ファンダメンタリスト」という言葉がつくられたのは一九二〇年だという(『原理主義とアメリカ文化』)。 そのキリスト教原理主義の勃興期から最初の衰退期まで思想的リーダーだったのが長老派教会の神学者J・グレシャム・メイチェン(一八八一―一九三七)だ。 メイチェンは一八八一年、ボルチモアの裕福な弁護士の家に生まれた。地元ジョンズ・ホプキンズ大を優等で卒業後、長老派のプリンストン神学校に進む。同時にプリンストン大で哲学も修めた。一九〇五年にはドイツに留学し、マルブルク、ゲッチンゲン両大学で神学を学び、当時ドイツで隆盛だった自由主義神学の息吹に触れている。

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