産業化を拒んだ「アグレリアン」の農本主義

執筆者:会田弘継2005年11月号

 アメリカ政治や文化において常に重要な位置を占めてきた地域がある。南部だ。「ソリッド・サウス(堅固なる南部)」。かつて民主党の牙城としてそう呼ばれた南部に攻め入ることで、ニクソン、レーガン、ブッシュ父子の共和党大統領は選挙を勝ち抜いてきた。他方、民主党側はカーター、クリントンと南部から候補を出すことで共和党の「南部戦略」をなんとか凌ぎ、雪辱を果たしてきた。 それがこの三十数年のアメリカ大統領選の構図だ。いつしか「南部を制するものは大統領選を制す」といわれるようになった。 政治的に南部を制するというのは、保守的戦略をとるということだ。 ニクソン以来の四人の共和党大統領はいうに及ばず、二人の民主党大統領も、そうして大統領の座を獲得し、維持した。「大きな政府の時代は終わった」と、まるでレーガンのような口ぶりで民主党を中道に持って行った南部アーカンソー州出身のクリントンだけでない。南部ジョージア州出身のカーターも保守的な大統領だった。 進歩派(リベラル)論客の重鎮であるアーサー・M・シュレジンガー・ジュニアは、カーターを、二十世紀の民主党大統領としてはもっとも保守的だったと位置づけている。保守的な要因として、カーターが「小さな政府」論者であり、規制緩和を推進し、公務に宗教を持ち込んだことを挙げた。長い目で見ればカーターとその次のレーガンは「違いよりも、継続性の方が意味を持つことになろう」(著書『アメリカ史のサイクル』)と分析している。

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