インド共産党は日本企業の脅威となるのか

執筆者:サリル・トリパシー2005年12月号

七月、ホンダの工場で労働争議が起きた。背後には共産党の影がある。果たしてインドの左派は経済発展を左右するほどの力をもっているか。 グルガオンの町は、首都ニューデリーのインディラ・ガンジー国際空港からおよそ十キロ。この数年で、ただの田舎町から、多国籍企業の工場が建ち並び、西欧スタイルの住宅街に若い労働者とその家族が暮らす活気のある町へと大きく変貌した。 グルガオンの成長を可能にしたのは、日本からの投資だった。一九八〇年代、スズキが軽自動車マルチを製造するためにこの地に工場を開き、ホンダが二輪車の生産を始めたことで、グルガオンはインド北部における自動車産業の拠点となった。 スズキがインドに進出した当時、インドへの投資を真剣に考える外国企業は少なかった。インドは社会主義経済を守っており、海外からの投資の誘致に積極的ではなかったからだ。実際、一九七三年にインドが導入した外国為替規制法により、外国企業は株式保有を四〇%以内に制限され、これを拒んだアメリカのコカ・コーラとIBMは七八年にインドから撤退している(九一年の法改正で外資の一〇〇%保有が可能となり、両社はインドに戻っている)。 それでも、中流階級の拡大が見込めるインドは投資の価値ありと判断したスズキとホンダはインドに進出した。いずれインドも世界経済に組み込まれる日がやってくると考えたからだ。こうした長期的視野に立った投資の結果、スズキは自動車市場における競争が激しくなった現在でも五〇%のシェアを誇っている。ホンダも最新のモデルを提供することで、二輪車市場に君臨してきた地元バジャジの牙城を崩し、トップの座についた。ホンダはいまやインド最大のスクーター輸出企業でもある。

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