どこまで荒れるのか「黒いフランス」

執筆者:徳岡孝夫2005年12月号

 二カ月ほど前のことである。パリの十三区にある六階建ての老朽ビルから、深夜に火が出た。駆けつけた人々は、あちこちの窓から身を乗り出して救いを求める子供たちの姿を見た。金切り声を聞いた。 消防は、なかなか来なかった。泣き叫ぶ子らは、助けようにも助ける手立てがない。 パリで古い住宅を訪ねた人なら、知っているだろう。エレベーターのないビルの真ん中に、窓のない木製の階段がある。表のドアを開けて入ったところのスイッチを捻ると、三十秒か四十秒間だけ電灯がパッとともる。その間に階段を駆け上がって目的の家のドアの前に到達しなければ、階段全体が真の闇に戻る。フランスは、ほとんど信じられない文明の国である。 焼けた老朽ビルで、なぜ子供たちが窓から叫んだか? AFP通信は出火原因を伝えてないが、まず木造の階段が焼けたからだという。階段を奪われれば、窓しか逃げ場がない。 火は三時間ほどでビルを全焼して消えた。焼け跡に十七の遺体があった。おとな三人のうち一人は妊婦であった。残る十四人はすべて子供。おとなも含めて全員が黒人だった。セネガル、マリ、コートジボワールなど西アフリカからの移住者である。 あのビルは危い、衛生も悪いと、近所では焼ける前から評判だった。壁に亀裂が走り、昼でもネズミが走っている。入居者が転々と変わり、明らかに満パイの居住者は火の用心をしていない。しかし十七人が一時に死んだのは、パリにとって「戦後最大の災害の一つ」である。ニコラ・サルコジ内相は現場を視察し、原因究明を約束した。

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