フランス各都市の郊外で十月二十七日から三週間にわたって破壊活動が続き、約九千台の車が焼かれ三千人近くが逮捕された。 フランスが抱える移民統合の問題に解決の見通しは立っていない。そもそも車が破壊される現象自体は、以前から一晩に「数十台」という規模で発生しており、今回のように集中的・連鎖的に行なわれてはじめて「騒乱」として認識され報道された。十一月十七日にフランス警察当局が行なった「正常化」宣言にしても、前夜に焼き討ちにあった車が全国で「九十八台」に留まったことをもって「フランス各地が正常な状況に戻った」と判定しているほどである。 この騒乱の中核をなしたのはムスリム(イスラーム教徒)移民の二世・三世だった。フランスの人口統計は宗教別になされていないため、フランスに何人ムスリムがいるか厳密な数字を挙げることは難しい。移民とその子孫(多くはフランス国籍を持つ)を合わせて「五百万人」という数字が用いられることが多い。フランス全人口の一割に近い数である。ムスリム人口の七割は旧植民地の北アフリカ・マグリブ諸国(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)からの移民とその子孫とされ、かなり雑駁な推計では、約三五%がアルジェリア、約二五%がモロッコ、約一〇%がチュニジアを出自とする。

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