「イラン大変容」が導く中東情勢の新たな激動

執筆者:田中直毅2014年1月23日

 中東の秩序は第1次大戦後に一変した。そういう意味では現在の主権国家体制はせいぜい1世紀の歴史しかない。そうしたなかでイランだけは2000年を超える堅牢な国家システムを維持している。日本の中東研究の歴史がイランに1つの焦点を絞ってきたのには根拠があるのだ。明治維新後の美術や文芸を含む中東研究の優に半ば以上がイラン関連だと聞いても、さもあらんと了解する由縁である。

 イスラム教のシーア派はイランの地で基盤を得たという見方もされる。しかしスンニー派に属する支配階級が権力を維持する多くのアラブ国家と比較すると、イスラム以前の歴史が違い過ぎる。シーア派に対するスンニー派の一種憎悪の念を理解することは難しいが、シーア派が偶像崇拝から完全には脱していないことが理由だとする説は私にはそれなりに説得力がある。イランにはムハマド以前の文化の歴史があり、それを完全に払拭することは、日本の地における文化と宗教との交錯を考えても、一神教といえども容易なことではないだろう。テヘランにある考古学博物館を訪れると、伝統的文化がイスラム教伝来後も少なからぬ影響をとどめたと思わざるをえない。

 

アラグチ次官の自信の根拠

 かつては駐日大使も務めたイランのアラグチ外務次官(中央、昨年10月、ジュネーブ)(C)AFP=時事
かつては駐日大使も務めたイランのアラグチ外務次官(中央、昨年10月、ジュネーブ)(C)AFP=時事

 堅牢な国家システムを誇るイランが昨年11月のジュネーブでの核協議を経て、中東での舞台回しに自信を示すに至ったとみるべきだろう。1月12日にアラグチ外務次官にテヘランで面談した折にそのことを私は痛切に感じた。

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