『中国=文化と思想』MY COUNTRY AND MY PEOPLE林語堂著/鋤柄治郎訳講談社学術文庫 1999年刊「靖国・小泉・反日」が日中関係の現在を象徴する三題噺になってしまったが、少しばかり頭を冷やして、日中双方の名もなき庶民がかくも大量に往来している時代が、これまでなかったという現実に立ち返ってみてはどうだろう。 小野妹子の時代からつい最近まで、日中交流は双方の選ばれた者だけが担ってきた。庶民は互いに相手を知ることも考える必要もなく、指導者が指し示す相手の像を鵜呑みにすればよかった。日本では日中戦争時の「暴支膺懲」、中国では毛沢東万能時代の「日本帝国主義・軍国主義の復活」に典型的にみられるように、庶民は時に指導者の奏でる不協和音に踊らされながら、相手のバーチャルな像に向き合ってきたのだ。 昔から日中の関係を「一衣帯水」とか「同文同種」とか表現する。前者は地理的な、後者は言葉や人種の近い間柄を意味するが、実はこれらは近代以降のあるイデオロギーに彩られた政治的記号でしかなく、「日中友好」を経て最近の「政冷経熱」まで、所詮は指導者が作りあげた政治スローガンにすぎない。これまでは日中関係というゲームに双方の庶民がプレーヤーとして関わることがなかったから、それでよかったのだ。

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