ハルビンの岸を洗った秘密主義の水

執筆者:徳岡孝夫2006年1月号

 チェルノブイリ原発の大事故(一九八六年四月)を思い出す。ソ連社会主義帝国の末期で、モスクワは例により貝のように黙っていた。オーストリアや北欧の人々が雨や大気中の放射能が異常に高いのを知って騒ぎ出し、二日後にやっとソ連は原発の爆発事故を認めた。 言論の自由を認めず、情報を政府の手で統制する社会主義の弱点は、事故や災害時に現われる。私がこれを書いている時点で、猛毒のニトロベンゼンは魚を殺しながら松花江を流れ下っている。ハルビン(人口三百八十万)は通り過ぎたが、沿岸各地でパニックが起きている。理由は中国石油天然ガス集団(ペトロチャイナ)系の吉林工場の大爆発を、中国政府が十日間も隠したからである。 中国のことだ、話はデカい。中朝国境、南北コリアンが等しく崇拝する白頭山に源を発した松花江、ロシア名スンガリーは北へ流れて吉林市を過ぎ、嫩江と合して東へ折れ、ハルビン市街を右に見ながら黒竜江(アムール川)に合流する。全長千九百キロ余。旧満州の命を支える大河である。松花江を併せたアムールは、ロシアで最も東に位置する工業都市ハバロフスク(六十万)の岸を洗って間宮海峡に注ぐ。 行く川の流れは絶えないが、必ずしも元の水ではない。長い長い物語に似た水路を、いまベンゼンを含んだ汚泥がゆっくりと流れ下っている。街の通過に四十時間かかるというが、ホントに通過後はキレイになるのか疑わしい。事件発生のとき黙っていた中国の役人が、そう言ってるだけではないか?

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