ついに流血の事態に…… (C)EPA=時事
ついに流血の事態に…… (C)EPA=時事

 2004年暮れ、ウクライナ大統領選の不正解明を叫ぶ群衆が首都キエフの中心街を埋め、親欧米派のユーシェンコ政権を誕生させた。その「オレンジ革命」から9年あまり。やはりキエフの中心街を群衆が埋め、親ロ派大統領ヤヌコビッチの退陣を迫った。しかし、今回は様相が異なった。流血の事態となり、キエフの一部は無政府状態といえるほど治安が悪化し、国内諸都市にも混乱が広がった。

 前回と今回で何が違ったのか。その背景を探ると、ソ連崩壊から20年以上を経てなお、社会主義体制から民主主義への移行に苦しむウクライナの姿が見えてくる。

 

警察の「権威と信頼」の失墜

 ウクライナで、欧州連合(EU)との連合協定への調印を見送った親ロ派ヤヌコビッチ政権に抗議するデモが昨年11月末に起き、キエフ中心部の独立広場を群衆が占拠した経緯は、すでにお伝えした通りである(2013年12月3日「『サンドイッチ国家』ウクライナの深き悩み」)。

 その後、占拠の群衆は一時減ったものの、最近再び盛り返し、始まりから2カ月近くたっても衰えを見せていない。1月21日、ヤヌコビッチ政権は路上占拠や街頭演説を規制する新法を施行して群衆を牽制しようとしたが、これが火に油を注ぐ結果となった。群衆の一部が暴徒化し、火炎瓶で武装。警官隊も火器で応戦するなど、緊張が高まっていた。

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