「粛清後」の北朝鮮(上)トラウマと農業改革

執筆者:平井久志2014年2月12日

 北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)朝鮮労働党行政部長が「国家転覆(クーデター)陰謀」の罪で処刑されて約2カ月が経過した。党機関紙「労働新聞」など北朝鮮メディアには張成沢氏処刑以後は、これに直接関連する記事はほとんどなく、表面的には何事もなかったかのように事態は推移している。

 しかし、張成沢氏粛清以降、「労働新聞」に掲載される「社説」が激増した。2013年12月10日から2014年2月8日までに掲載された「社説」は実に26本に上る。「労働新聞」では「社説」は最も重要な記事で、住民に党や国家の方針を伝え学習の対象にもなる。日本の新聞のように毎日「社説」が掲載されるわけでなく、1週間に1度しか掲載されないことも珍しくない。しかし、張成沢氏が死亡して以降は2、3日に1回のペースで社説が発表されている。こんなに「社説」が数多く掲載されたことは最近ではあまり例がない。金正日(キム・ジョンイル)総書記が亡くなった時でもこんなに多くはなかった。

 北朝鮮の表面的な雰囲気は張成沢氏の粛清などなかったかのように推移しているが、「労働新聞」の社説の激増は、北朝鮮当局が張成沢氏粛清以降、住民統制、住民の向かう方向性に敏感になっている証拠だろう。平穏な雰囲気の中に張成沢氏粛清のトラウマは内蔵されている。

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