共産主義に「折れない」芸術家

執筆者:大野ゆり子2006年2月号

 上海生まれの友人は、中国人として世界でもトップ水準の腕を持つクラシック演奏家である。その垢抜けた物腰や開放的な人柄に接していると、ついつい中国が共産主義という体制を採る国家だと忘れてしまう。ある日、本人に直接、そう言ってみたことがある。 一呼吸置いてさりげなく、友人はこの話を始めた。ごく最近、中国のオーケストラでマーラーの交響曲第二番「復活」を演奏する予定があった。この曲は大編成のオーケストラのほか、合唱、オルガンなどによる約八十分の交響曲。音楽家にとっては、やりがいがあると同時に、多くの練習を必要とする大曲でもある。オーケストラは十数時間みっちりと練習し、とても良い出来で、本番前の総稽古を迎えた。 前日の夜、中国当局からオーケストラ側に電話があった。「復活という曲を、明日演奏するとは何事だ」と。 翌日は六月四日だった。天安門広場と周辺のデモで数百人ともそれ以上ともいわれる死者が出た、いわゆる「六四天安門事件」が起きたのは、確かに一九八九年の六月四日であった。マーラー自身は、この曲は「自分が愛した人々の棺の傍らに立ちながら、死者の人生に思いを馳せ、戦いや苦難の思いを共にし、その死が決して無駄ではなかったことを、最後の審判で死者の復活によって喜ぶために」書いたと言っている。葬送行進曲で始まるシンフォニーは、故人の人生の軌跡をかみしめるようにたどり、最後の楽章では、地が震えて死者の復活が華々しく告げられ、陶酔したような喜びの中、死者が復活する。

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