講和条約文書に調印する吉田茂首相(当時) (C)時事
講和条約文書に調印する吉田茂首相(当時) (C)時事

 援助政策と靖国問題。一見関係なさそうな2つが、ここしばらく私の頭のなかで絡み合ってほどけない。

 ジョン・メイナード・ケインズの「世界平和維持費用」論については以前「アフリカの部屋」で書いた(2013年11月18日「ケインズの『世界平和維持費用』論とアフリカ」参照)。第1次世界大戦後の失敗を繰り返さないためにケインズが考えた、戦争賠償の長期的で持続的な、しかも建設的かつ平和的な支払い方法のことだ。日独両敗戦国に過大な賠償を課さず、経済復興を促して、その成長成果を戦後国際秩序のために振り向けさせるという戦略構想である。これによって日本は、当初アメリカが考えていた農業国化、戦争能力の完全剥奪方針から逃れることができた。そのかわり、アジアの工業センターとして経済復興すると同時に、アジア諸国の経済発展のため資金を提供することが求められた。これが経済協力政策の事始め、日本の援助政策の出発点になったというお話である。

 東西冷戦の、ときに熱する最前線であり、しかも大英帝国が撤退していったアジアにおいて、アメリカは安定した反共ブロックを求めていた。それを構築する費用の一部を、日本に負担させようとしたのである。日本には日本の思惑があったにせよ、アメリカのこの戦略があったからこそ日本は経済成長することが可能になり、その代償としてアジアにおける平和維持費用を払い続けたということだ。この歴史観が正しいとすると、「戦後日本は奇跡的に経済成長しアジア諸国を助けるまでになった」という通常の捉え方は、「戦後の日本はアジア諸国を助けるために経済成長を許された」というふうに修正されなければならない。とすれば、アジア諸国は日本に感謝する必要などハナからなくなる。

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