「法の使い方」と「国家の危機」

執筆者:関裕二2014年4月10日

 国際秩序の地殻変動が起きている最中、日本では、集団的自衛権の行使を巡って、「誰が法を解釈するのか」が問題になっている。小田原評定をしている場合ではないのに、なぜこのようなところで、議論が止まってしまうのか……。

 もちろん、民意を得て憲法を変えていくのが最良なのだろうが、時代の変化が早すぎるのだから、次善の策が求められる。

 ここで問題とすべきは、日本国憲法が制定されてから数十年を経て、「誰が法の番人なのか」をいまさら議論している政治の状況だ。これは政治の劣化であるとともに、危機ではあるまいか。古代の歴史をふり返っても、「法をどのように使うのか」の判断が揺れ動きその使い方を誤ったとき、国家の危機が訪れていた。

 

「法」と「天皇」の使い分け

 日本の律令(明文法)は、大宝律令(701)を嚆矢とする。

 大宝律令編纂に大いに活躍したのは中臣鎌足の子の藤原不比等で、この人物は「法を支配すれば天下を取れる」ことに、誰よりも早く気付いていた。

 藤原氏の繁栄は、天皇の外戚になること、そしてそれは、法を支配することによってもたらされた。しかも、「法」と「超法規としての天皇」を使い分けることで、政敵を煙に巻いたのだ。

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