ネオコン(新保守主義者)とは対極にある思想家レオ・シュトラウス(一八九九―一九七三)が、ネオコンを裏で操った思想家のようにいわれた。遺族も当惑した。「シュトラウス派」とされてきた代表的ネオコン論客ロバート・ケーガン(邦題『ネオコンの論理』の著者)は突然、シュトラウスとは無関係だ、と言い出した。 なぜだろう。その謎解きを試みるには、まずシュトラウスの人生と業績をたどってみる必要がある。 シュトラウスは世紀末にドイツ中部マールブルク近くで「田舎の保守的な正統ユダヤ教徒の家庭」に生まれ、育った。軍務を経て、マールブルク、ハンブルクなど四つの大学で哲学を学び、ニーチェ哲学に傾倒した。ハンブルク大で博士課程を終えた後、フライブルク大学で研究者として一年を過ごしている。 この大学では現象学の祖であるフッサール(一八五九―一九三八)が教鞭をとり、若き日の実存主義哲学者ハイデガー(一八八九―一九七六)が助手を務めていた。 そこからシュトラウスはベルリンのユダヤ研究アカデミーに移ってスピノザを研究し、一九三二年にアメリカのロックフェラー財団の奨学金を得て、パリ、さらに英国へと移り、ホッブズを研究する。三八年には欧州を後にして、アメリカに移住した。

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