学生たちが立法院を立ち去った日、台北では「勝利」を祝う人々が練り歩いた。「捍衛」は「守れ」の意味(筆者撮影)
学生たちが立法院を立ち去った日、台北では「勝利」を祝う人々が練り歩いた。「捍衛」は「守れ」の意味(筆者撮影)

 中台サービス貿易協定の性急な推進に反対する学生たちが24日間にわたって「三権」の1つである立法院を占拠するという異例の事態は、馬英九政権から大幅な譲歩を引き出した学生側の「勝利」に終わった。ただ、今回の運動を振り返るとき、勝者よりもむしろ敗者となった側の姿を正確に見極めることが重要だ。

 そもそも立法院占拠という過激な行動がこうも見事に成功し、さらに、学生たちが警察力で排除されなかったのはなぜか。そして、今後の台湾政治と中台関係にどんな影響を与えるのかについて考えてみたい。

 

「意趣返し」された馬総統

 立法院の占拠の実現は、学生たちの「作戦能力」の高さにあったことは疑いない。立法院への突入に際して、複数のチームを東西南北のそれぞれの門で機動的に動かし、最も警備の薄いところから突入するという高度な作戦を実行した。

 占拠中には「ロジスティックス」「医療」「イベント」などの10を超えるチームをつくって各自に分担させ、目的意識と任務を与えた。学業に影響が出ないように立法院に講師を招いて補習コースも実施。情報発信を他言語で行って国際メディアを味方につけた。これらの現実的なアイデアが、今回の運動で一気に有名人になった林飛帆氏と陳為廷氏という2人のリーダーシップによって、軍隊か企業を思わせる効率で実施され、ついつい理想主義に走ってばらばらになりがちな学生たちの結束は最後まで崩れなかった。

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