三つの文明 妥協の余地なきトリレンマ

執筆者:徳岡孝夫2006年4月号

 中国に文化大革命があって、日本の新聞がこぞってそれを称賛していた頃、私は新聞社の出す週刊誌編集部でデスクをしていた。欧米の新聞を見ると、さかんに林彪のことを書いている。出席すべき会合に出ず、発言すべき機会に声がない等々。 林は、中国共産党の規約か何かで、毛沢東の後継者と定められている。そういう人物をめぐる異変に、週刊誌が黙っている手はない。私は英語の新聞・雑誌記事を集め、「中国で何かが起っている」という二ページか三ページの特集をデッチ上げてウチの週刊誌に載せた。 発行日の朝だった。出版局と同じフロアにある新聞編集局から外信部長がつかつかと我が編集部に歩み寄り、雑談中のデスク三人を、見下ろして一喝した。「おい君ら、俺が北京特派員のことでどんな苦労をしてるか、知っとるのか」 すんまへんとは言わなかったが、われら三人は無言で、ちょっと頭を下げた。外信部長は憤然たる足取りで去った。三人は顔見合わせてニッコリ笑った。「凄いね」「表現の自由が弾圧される現場を見たね」「しかし、ああいうことって、その気になれば言えるもんだね」……。 外信部長、いまや故人だから、もう時効だろう。当時、日本人として「たった一人の北京特派員」だった「朝日」の秋岡家栄氏が、深センの税関かどこかの壁にある林彪の肖像写真を見て、彼は生きている…林彪死亡説は「外国の雑多な流説だろう」と書いたのは、私の「被弾圧体験」の数日後だった。そのとき林彪は、墜落した飛行機の中で完全に死んでいた。

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