独裁の象徴「骨灰堂」に中国の行く末を見る

執筆者:藤田洋毅2006年5月号

どんなに強権で押さえつけようとしても、社会の変化とそれに基づく民衆の覚醒は止められない。「有権有切」という言葉がある。「権力あるものが一切を手にする」の意であり、中国共産党一党独裁体制の本質である。今回は、その“象徴”を眺めよう。北京・天安門から長安街を西へ約十四キロ、八宝山革命公墓の「骨灰堂(遺骨堂)」だ。 北京には外国人立入り禁止の重要施設が多い。党中央・国務院の事務棟や指導者の住居がある中南海、釣魚台賓館(迎賓館)、党中央軍事委員会の招待施設である京西賓館や事務棟の八一大楼などだ。だが実際には、首脳会談の際に外国人記者を入れたり、「両会」(毎年三月に開催する全国人民代表大会・全国政治協商会議)に出席する地方・海外代表が宿泊することがある。しかし、観光名所でもある八宝山革命公墓の一角にある「骨灰堂」は、開設以来、高官や高官の家族しか入場を許されない“禁区中の禁区”。むろん、これまで日本人で足を踏み入れた者はない。 八宝山革命公墓は、明朝からの名刹・護国寺を解放後に北京市革命公墓とし、指導者や処級(課長に相当)・団級(軍連隊長に相当)以上の幹部、愛国人士、科学者、文学者らの墓としたのが始まり。一九五六年に毛沢東が火葬推進を提唱したのに伴い五八年に火葬場と骨灰堂を設けた。七〇年に八宝山革命公墓と改称し、九二年以降、骨灰堂に収納するのは司局級(局長に相当)・師級(軍師団長に相当)以上と規定を変えた。

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