小沢一郎神話の最終章

執筆者:2006年5月号

 どうして政治家はいつもいつも馬鹿なことを言うのだろう。民主党の代表選で「正々堂々と選挙で戦うべきだ」と言った同じ人が「あとにしこりを残さないようにしなければならない」などと話し合いのほうがいいようなことを言う。町内会の会長を選ぼうとしているのではない。政治は権力闘争だということを忘れてしまっているから、こんな寝ぼけたことをほざいているのだ。 ともあれ、小沢一郎が代表に選ばれた。小沢氏と敬称をつけると違う人物のようになってしまう。いまやその存在感は極めて矮小化されたとはいえ、戦後政治史を語るとき、とりわけ田中角栄、竹下登以降の政治を小沢一郎抜きに語ることはできない。蠅子は十年前ぐらいまでははっきりとした「小沢嫌い」だった。 しかしどこかアンチ巨人の心理と似ていて、好きなのか嫌いなのか自分でも判然としないようなところもあった。小沢一郎氏がどうしているのか気になっていたし、とくに民主党に手強さを感じさせる政治家がいなくなっていることから、「小沢的なるもの」への憧れのような感情もあった。 最近の民主党議員の典型はみなきれいな顔をして目が澄んでいる。学歴も高く、どこの会社を受けても合格しそうなおりこうさんばかりだ。偽メールでどこかへ消えてしまった議員も、前原誠司前代表も、きれいな目をしている。韓流ドラマではないのだからハンサムだからいいなどということはない。権力闘争をする人間が、うるんだ瞳をしていてどうするのだ。命をかけて国家国民のために物事を決めなければならないのだぞ。

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