「オーバーリストラ」と対峙するNEC新社長

執筆者:杜耕次2006年5月号

苛烈な「切り売り」で通信・パソコン不況を切り抜けたものの、成長の芽まで摘んだかに見えるNEC。新社長は最適解を見いだせるか。 日本のエレクトロニクス産業にとって、この十年は受難の時代だった。コンピューターのダウンサイジング、半導体戦争での敗北、家電事業の衰退――。これらの結果として背負い込んだ過剰設備・過剰債務の体質から脱却するため、各社は不振・赤字事業からの撤退やその売却、有望分野への集中投資に邁進した。 こうした「選択と集中」の“実績”を採点すれば、おそらくNECは「優等生」の評価を受けるはずだ。一九九九年に防衛庁水増し請求事件と千五百億円の連結最終赤字で引責辞任した金子尚志(七二)の後任となった西垣浩司(六七)、その西垣が「NECのドン」といわれた元社長関本忠弘(七九)との確執に疲労困憊して退任した後を二〇〇三年に継いだ金杉明信(六四)。この歴代二人の社長によるコア(中核)事業とノンコア(非中核)事業の峻別は苛烈を極めた。財務体質改善には成功したが 西垣は社長就任一年目に、まず赤字を垂れ流していたDRAM事業を切り離して日立製作所との統合会社(後の「エルピーダメモリー」)に移管したのをはじめ、米子会社パッカードベルNECの再建断念(後に清算)、NECホームエレクトロニクスの解体・清算を決めた。二〇〇一年以降もレーザープリンター事業を富士ゼロックスに売却したほか、NEC茨城や宮城、山梨といった地方子会社の製造部門を外資系EMS(電子機器の受託製造サービス会社)に次々に譲渡。設備と人員のスリム化を一気呵成に進めた。

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