日本のコメこそ、世界に先駆けて先物取引が行なわれた商品だった。その復活は、不透明な権益の前に頓挫した。「コメの先物(の上場)につきましては、現時点では不認可ということにさせていただきたい」 三月二十八日、閣議後の記者会見に臨んだ中川昭一農林水産相は、冒頭でいきなり、そう切り出した。関係者は、翌日に予定されていた農相の諮問機関「食料・農業・農村政策審議会」の討議を踏まえて結論を出すとみていただけに、あっけにとられた。トップダウンによる「政治の意志」が鮮明に打ち出されたことで改めて浮き彫りになったのは「コメ=政治商品」という構図である。     *「売りのやまたね」――。戦前のコメ先物相場で、巨額の買い注文に売り向かった大相場師、山崎種二。貧農の家に生まれ小僧として米問屋に出された種二は、大成功を収めた数少ない相場師の一人だ。 晩年の種二は東京穀物商品取引所(東穀取)の初代理事長に就任し、江戸時代に大阪・堂島で始まった「コメ先物相場の復活」を念じながら、一九八三年に死去した。同取引所は戦前の東京米穀商品取引所を引き継いだものだが、その名前の変化が示すように取り扱い品目にコメは含まれていない。コメは戦中に統制品目となり、三九年には取引所自体が閉鎖。戦後も食糧不足の中で生産・流通・価格とも長らく国家の一元管理が続いた。

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