走り出した「ビジョンなき私鉄再編」

執筆者:喜文康隆2006年6月号

「(百貨店が)電鉄のターミナルにあるのみでなく、その電鉄と同一の経営下にあるから、他の百貨店にては到底出来ないいろいろの特殊な経営法が存在する。阪急電車、宝塚、東宝というように一つの大きな事業コンツェルンのなかの一部として経営するのであるから、これらの各部とタイアップすることによって実に種々特殊な経営を行うことが出来るのである」(小林一三『次に来るもの』)     * 六月末の阪神電鉄の株主総会を控え、村上ファンドと阪神経営陣、そして阪神電鉄にTOB(株式公開買い付け)をかけて経営統合をもくろむ阪急ホールディングス(旧阪急電鉄)の間の駆け引きが活発化している。 しかし、村上ファンドの村上世彰も、阪急ホールディングスや阪神電鉄の経営陣も気づいていないことがある。どちらが主導権を握るにしても、阪急電鉄の創始者である小林一三が考え出し、日本の私鉄経営すべての標準となっていた経営システムが終焉するということ、そして、みずからがその崩壊のトリガーを引いたのだという意識である。 ドラマは、昨年九月、村上ファンドが阪神電鉄株の発行済み株式の二七%を取得し、「阪神球団の上場を検討したら」という村上提案からはじまった。

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