奧田碩「財界総理」退陣後の人生

執筆者:松田一八2006年6月号

小泉首相より一足早く「総理の座」を降りる奧田氏。だが、その“存在感”は、余生を語るにはまだ強すぎる。いったい何をするおつもり? 毎週月曜日朝の東京駅、東海道新幹線のプラットホーム。出張支度で往来するサラリーマンに紛れて、のぞみ号のグリーン車から、少し背中を丸めた巨体を揺らしながら一人の男が降り立つ。警視庁のSP(警護官)二人と秘書に囲まれコンコースを丸の内側まで進むと、赤れんがの駅舎を背景にトヨタ・センチュリーが男の到着を待っている。後部座席にどっしりと腰を下ろした男は数百メートル離れた大手町の経団連会館へ。車は会館地下の車寄せに滑り込み、トヨタ自動車会長の奥田碩は、“財界総理”としての多忙な一週間をスタートさせる。     * 日本経済団体連合会(以下、経団連)の初代会長としての講演や記者会見、来訪者への対応などはもちろん、兼務する多くの公職の会合予定で、秘書のスケジュール帳は埋め尽くされている。「経済財政諮問会議」の民間議員など現職だけでも二桁以上。諮問会議をみても、首相官邸で開かれる本会議はもちろんのこと、民間議員だけの事前打ち合わせなどで頻繁に内閣府の庁舎に顔を出しており、とても七十三歳とは思えない動き方をしている。

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