ブラジルでのサムライブルーは「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出た」ものの、勝負どころで敗退、日の丸の小旗を打ち振って送り出した様は出征兵士の見送りの悲壮感に比べるのは真に失礼だが、プロパガンダやメディアの煽動が選手たちを「負ける」ことさえ許されないムードに追い込んでいた。まさに国民こぞっての期待過剰、その反動で敗戦の「戦犯探し」をさかんにしている。

 

 明治維新では、日本の近代国民国家建設のため国家の全てを欧米化に注ぐことになり、日本固有の文化は近代化の障害にさえなった。もう一方で国際社会は、クラウゼヴィッツの『戦争論』、ダーウィンの「適者生存論」、ハウスホーファーの「生存圏を掲げる地政学」が戦争を正当化させ、戦争の世紀が始まっていた。

 

 日本は、欧米の流儀を導入して近代国民国家の建設に成功した勢いで日清・日露の戦争に勝利した。また日本にとって第1次世界大戦は、その延長線上の圧倒的に優勢な立場と戦局に恵まれた勝利でもあり、勝ち馬に乗った観があった。しかし正確かつ客観的に言えば、日清・日露戦争の勝利は、近代国民国家として日本を世界の檜舞台に登場させるきっかけを与えた反面、戦備に要する莫大な借金と古典的戦術による多くの兵士の犠牲という負債、そして国力不相応な自負という結果をも残した。

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