「公」と「私」のけじめ

執筆者:2006年8月号

 この号が読者の手元に届くころは、もしかすると「辞任」でケリがついているかもしれないが、どうしても書かざるを得ないので書く。福井俊彦日銀総裁のことである。何人かの人に「辞めるべきではないか」と話しかけてみたところ、「その通りだ」と答える人と「辞める必要はない。これで辞めろというのなら、日銀総裁は定期預金もしてはならないということになる」と反対する人がほぼ半々に分かれた。 知り合いの新聞記者の何人かにも聞いてみた。面白いことに気がついた。専門の経済記者たちのほとんどは「辞めるべきでない」と答えた。日銀総裁としてあれ以上の人物はいない、と断言する人もいた。一方で社会部記者や政治記者は「辞めるべき」あるいは「辞めざるを得なくなるだろう」と答える。この十年ほど、進退を問われたリーダーで、辞めずに乗り切った例は一つもない、と述べる人や、NHKの海老沢勝二会長が辞任に追い込まれたときと酷似している、と指摘する人もいた。 新聞の社説はおそらく経済記者上がりの論説委員が書いているせいだろう、福井総裁に好意的なものが多い。まるでほかの人物では適切な金融政策ができないようなことが書かれている。「日銀の信頼を取り戻すことが福井総裁の最大の責務」などというまるで他人事のような論調も少なくない。ちまたの声を眼光紙背に徹して見れば、おおむね、裕福な人が辞任反対、あまり投資などに縁のなさそうな庶民派がけしからんという立場と分かれるように見える。

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