きわめて短期間のエジプト出張から帰国したところである。所属する研究所の用務で、大学や研究機関との交渉ごとに忙殺されていた。ほんのわずかな時間、北部のアレクサンドリアに滞在したのだが、地中海を眺めて思うことがあった。 ロレンス・ダレルの大作『アレクサンドリア四重奏』は、西欧人がこの街に対して抱く幻想の集大成といっていい。この小説を読んで、一度はアレクサンドリアを訪れてみたいと思う人も多い。 ただし、現在のアレクサンドリアはあくまでもエジプトの一都市であり、ギリシャ文明を引き継いだ古代の先進的都市、あるいは十九世紀後半から第二次大戦ころに栄えたコスモポリタンな文化は、片鱗をわずかにとどめるのみである。中心部、サアド・ザグルール広場を見下ろすメトロポールホテルは、一九〇二年にイタリア人とギリシャ人の建築家の設計によって建てられ、地中海流のコロニアル・スタイルを色濃く残す。 しかし、外国人の憧れるアレクサンドリアはもっぱら書物の中にある。E. M. フォースターの都市ガイド『アレクサンドリア』を開き、古代と中世の地中海都市に思考を遊ばせることが、アレクサンドリア滞在の楽しみである。 そしてフォースターのアレクサンドリア論を読んでいるうちに、地中海の向こう側、イタリアのヴェネツィアに思いを馳せることになった。フォースターはアレクサンドリアとヴェネツィアを結ぶ奇縁を記す。

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