そこをアルカイダの「聖地」にしないために

執筆者:竹田いさみ2006年9月号

 米国ニューヨークのマンハッタン島からハドソン川を渡ると、対岸はニュージャージー州の港町ジャージーシティーだ。自動車を使うなら川底に掘られたホランドトンネルを通り抜ければよいし、列車やフェリーでも簡単に渡れる。朝夕のラッシュ時、マンハッタンのオフィス街に向かう通勤客が、一斉にハドソン川を渡るさまは圧巻だ。生涯ニューヨークを愛して止まなかった歌手、フランク・シナトラの生誕地として、ジャージーシティーに隣接するホーボーケンは、熱狂的なファンにとっての「聖地」と聞く。ハドソン川のほとりにフランク・シナトラ公園があるのもうなずける。 じつはジャージーシティーにはもうひとつの「聖地」があることをご存知だろうか。国際テロ組織アルカイダが、一九九二―九三年頃に米国攻撃の拠点をおいたアジト跡があるのだ。マンハッタン島のホランドトンネル入り口から車で三十分ほどで、ジャージーシティーのとある住宅街に到着する。ハドソン川を見下ろす二つの墓地を走り抜けると、一戸建ての住宅が整然と並ぶ住宅街が目に飛び込んでくる。住民の大半はカリブ海系やアフリカ系のブラックや、インドやパキスタンの出身者など、非白人の居住者で占められる。もともと低所得階層の中でも、立身出世した人々が住んでいるらしい。とても大都会ニューヨークに隣接しているとは思えない、閑静で、ゆったりとした時間が流れている町である。

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