ロシアに高まる「新たな全体主義」の足音

執筆者:内藤泰朗2006年12月号

[モスクワ発]多民族国家ロシアで、外国人排斥の動きが強まっている。排他的な民族主義者による外国人殺害事件が多発。外国人への暴行、傷害事件にいたっては星の数ほどある。しかし、当局はこうした外国人排斥運動の取り締まりを強化するどころか、逆に自ら「反ロシア国」との烙印を押すグルジアからの移民たちの大規模追放を主導する。政権の人権軽視や、言論・集会の自由弾圧といった統制強化は着々と進み、請負殺人も後を絶たない。
 原油の高騰で歴史的好景気を迎え金満社会となったロシアだが、その民主主義は危機に瀕している。「ロシアは再び、かつての全体主義色の濃い国に向かい始めた」とみる専門家も出始めた。

国民の反外国人感情を利用し

「ロシアは、ロシアに在住するグルジア人たちの追放という前例のない措置をとるが、これは到底まともな状況だとはいえない。(民族浄化を行なったナチス・ドイツの)ヒトラーのやったことと非常に似ている」――一カ月以上に及ぶロシアのグルジア人追放措置について、旧ソ連末期の外相を務め、親ロシア派として知られるグルジアのシェワルナゼ前大統領(七八)は、筆者とのインタビューでこう断言した。
 ロシアのプーチン政権は今春、親欧米路線に舵を切ったサアカシビリ大統領(三八)率いる南カフカスの小国グルジアからの、果物などの農産物やワイン、ミネラルウォーターなど主力産品の輸入を全面禁止。十月初めには、毎日三便が飛んでいたモスクワ―トビリシ間の空路や鉄道、道路を封鎖し、グルジア人の「違法滞在者」追放のほか、銀行送金や郵便物の停止など、「人・モノ・カネ」の往来を封鎖する強硬措置に出た。
 ロシアには五十万人以上のグルジア人が暮らすが、この一カ月で数千人が追放された。追放者の中には違法滞在者もいるが、合法的に滞在していた者までも「反ロシア的なグルジア人だから」という理由で追放されているという。追放されたグルジア人たちは、ロシア当局を人権侵害で欧州の人権裁判所に提訴する動きをみせている。
 こうしたプーチン政権主導のグルジア人追放の裏にあるのは、「外国人ではなくロシア人のためのロシアを」という国民レベルの反外国人感情である。実に六割もの国民がこうした外国人排斥の動きを支持しているとの世論調査結果もあるのだ。
 それは、外国人殺害事件の増加にも現れる。報道によると、プーチン大統領のお膝元、旧都サンクトペテルブルクでは外国人殺害事件が最も多く起きており、昨年は三十九人が民族主義者の若者に殺害された。しかも、事件の容疑者の多くが裁判で事実上の無罪を勝ち取っている。
 ロシアの専門家らは、その要因として、(1)ロシアの若者たちに同情的な陪審員が多い、(2)警察当局の捜査力の低下、などの問題を挙げる。さらに、石油マネーによって急速に豊かになり「バブルな生活」を送る富裕層が登場する一方で、いつまで経っても貧困状態から抜け出せない圧倒的大多数の国民の不満のはけ口を外国人排斥運動にしておくことは、国民からの批判をかわせる政権にとっても都合がいい。半ば政権のお墨付きを得た民族主義団体の活動は、罪を犯しても罰せられない現状の中で、ますます増長するというわけだ。
 今年八月、モスクワ東部のマーケット爆破事件では、中国人労働者ら十三人が死亡したが、軍事・愛国主義団体のリーダーが、犯行に及んだロシア人学生らに「目障りなアジア人たちを殺せ!」と無差別殺人を指示していたという。中央アジア・タジキスタンからの移民を支援する情報センターのザリポフ所長は「欧州にも外国人排斥運動はあるが、これほど多くの外国人殺害事件はない。政治的な求心力を得るために外国人排斥運動の火に油を注ぎ、ファシズムを鼓舞するロシアの政治にこそ問題がある」と指摘する。
 実際、プーチン政権の関心の重点は、増大する外国人殺害事件の取り締まりではなく、「反ロシア的」な姿勢を示す組織や国家への締め付けにあるようだ。
 ロシアでは今年四月、外国の非政府組織(NGO)への規制を強化する新法が施行され、煩雑な再登録手続きを期限までに終えられなかったことを理由に、十月末、国際的人権擁護団体アムネスティー・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなど世界の有力NGO九十六団体が活動停止に追い込まれた。
 これらNGOは活動ができないばかりか職員も国外退去を余儀なくされ、米国などを中心にロシアへの反発が強まっている。グルジア人の追放措置や外国人殺害事件への対応でも人権軽視の姿勢が顕著な政権にとって、政権批判や西側的な人権擁護の考え方を広めるNGOは「反ロシア的な活動を行なう危険な組織」と映っているのだ。
 来年末に下院選挙、再来年には大統領選挙を予定する政権側は、二〇〇四年秋のウクライナ大統領選挙で起きた「オレンジ革命」の再来を強く警戒しており、外国の資金や協力者の流入阻止を念頭に、対策を強化しているとみられる。
 今回、批判される外国NGOの再登録手続きを担当したのは、法務省傘下の登録局だった。同局を取り仕切るウスチノフ法相は、前職の検事総長時代、旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン大統領の従順なる右腕として同国の元民間石油大手ユコスを破綻に追い込み、ホドルコフスキー前社長を脱税などの罪でシベリア流刑に処した人物としても知られる。シロビキ(武闘派)と呼ばれるプーチン氏のKGB人脈の中でも最強硬派の一人だ。

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