患者さんと「ともに生きる」

執筆者:髙本眞一2014年12月20日

 私は昭和48年に東大医学部を卒業後三井記念病院で外科レジデントを終了し、ボストンのマサチューセッツ総合病院で心臓手術中の心筋保護の研究を行い、昭和55年に帰国してから埼玉医大にて心臓血管外科を専門に選びました。その頃の私は、懸命に手術の腕を磨き、新しい手術法の開発にも挑戦し、充実した日々を送っていました。同じ志を持つ仲間と切磋琢磨し、若い医師の充実した教育と患者さんへのよりよい手術治療を目指して心臓血管外科の最前線で活躍できているという喜びを感じ、明るい将来像も思い描いていたように思います。


 埼玉医大へ来て8年が経とうとしている頃、医局の運営について納得できないことがあり、私は上司に意見しました。その数日後、公立昭和病院(東京都小平市にある地域の基幹病院)の心臓血管外科の創設に部長待遇で行かないかとの話を教授から持ちかけられました。「部長待遇は、大学の教授クラスの扱いだ」と言われましたが――。今でこそ、同院は地域の基幹病院として確固たる存在感を示していますが、当時は心臓血管外科はなく、まだまだ埼玉医大で新しい医学、医療を目指して頑張りたいと考えていた私にとっては何となく気が進まないものでした。

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