「東アジア共同体」発車前の迷走

執筆者:戸川秀人2007年1月号

ASEAN主導で進むかに見えたアジアの経済枠組みづくりだが、この一年で三つの大きな状況変化が起こり……。「アセア? アジアのこと?」 米国務省のある外交官は、日本政府の経済官僚との会合で不思議そうな顔でこう聞き返した。 議題は十二月十三日にフィリピンのセブ島で開催される予定だった第二回「東アジア・サミット」。結局、「台風」を理由に二〇〇七年一月以降に延期される見通しだが、そのサミットで議論することになっていた「東アジア共同体」づくりについて、日本の方針を事前に米国に説明するのが、この非公式会合の目的だった。 日本側の発言の中で何度も登場したキイワードが「アセアン(ASEAN=東南アジア諸国連合)」である。だが、この外交官は即座に理解できなかった。発音の問題ではない。日本をはじめ東アジア各国が想像している以上に、米国はASEANを重視していない。サミット延期という異例の事態を招いた議長国・フィリピンの段取りの悪さも際立った。 日本の外務省幹部はこう語る。「東アジア共同体に向かって進むバスの運転席に座っていたASEANの信頼は崩れ去った。共同体づくりの方策を考え直す時が来ている」 東アジア共同体。その構想は小泉純一郎前首相が二〇〇二年一月にシンガポールで行なった演説で初めて公式にアジア各国に提唱した。当時、欧州では欧州連合(EU)が加盟国の拡大と経済統合の深化を続けていた。同じような国家共同体を東アジア地域で築けないか。EUのように経済統合を進め、貿易や投資、労働力の移動の障壁をなくし自由化すれば、地域全体の力は増すはずだ――。

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