経済学史を生きた二人の巨人の死

執筆者:喜文康隆2007年1月号

「どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである」(J. M. ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』)     * 十一月十六日、ミルトン・フリードマンが九十四歳で亡くなった。フリードマンは、貨幣数量説を武器にマネタリズムをよみがえらせ、徹底して反ケインズ主義の論陣を張りつづけた、二十世紀後半の代表的な経済学者である。シカゴ学派のリーダーとして、レーガノミックスと呼ばれる米レーガン政権の経済政策や、サッチャー政権の英国の経済政策などに影響を与えた。 経済学の本はほとんど読んだことがないという人でも、一九八〇年に発行されて、新保守主義のバイブルとなった『選択の自由(Free to Choose)』という書名は知っているだろう。フリードマンは自他共に認める、市場原理主義のナンバーワンのイデオローグだった。 感慨深いのは、フリードマンの宿敵ともいえるジョン・ケネス・ガルブレイスも同じ年の四月二十九日に九十七歳で世を去ったことである。

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