沈黙するロシア・メディアの罪と罰

執筆者:名越健郎2007年2月号

恐怖政治におののき、若い記者も口をつぐむ。かつてあれほどレベルの高かったロシアのメディアは、いま衰亡の危機に立っている。 旧ソ連時代末期、西側のモスクワ駐在記者にとって水曜日は多忙な一日だった。通常の新聞に加え、改革派のモスクワ・ニュース、アガニョーク、文学新聞といった週刊紙・誌の発行日に当たり、夕方まで新聞、雑誌の転電に追われたものだ。長文の調査報道の信頼性や水準は欧米メディアを圧倒していた。 当時はグラスノスチ(情報公開)の全盛期。新聞・雑誌には、ソ連史の暗部を暴露したり、ソ連の立ち遅れを実証したり、ゴルバチョフとエリツィンの暗闘の舞台裏を活写したり、特ダネ満載だった。 グラスノスチはゴルバチョフの最大の功績だが、途中からそれは政権の思惑を超えてひとり歩きし、ソ連崩壊につながる原動力となった。メディアがソ連の真実を暴露し、大衆動員を伴う抗議行動を誘発。ジャーナリストがソ連を崩壊に追い込んだといっても過言ではない。ゴルバチョフもエリツィンもメディアを統制することはしなかった。 保守派・プラウダに対抗した改革派・イズベスチヤやモスクワ・ニュース、文学新聞などの編集部が立ち並び、急進改革派のデモが盛んに行なわれたプーシキン広場は、グラスノスチの“聖地”だった。

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