仏連続テロ「既視感」から浮かぶ「教訓」

執筆者:国末憲人2015年1月21日

 どこで見た光景だろうか。フランスの連続テロの周囲に漂う「デジャビュ」(既視感)が気にかかる。

 その1つを確かめようと、ちょうど訪ねたパリで、中心部の共和国広場に行ってみた。テロ後初の日曜日となった1月11日、100万人以上の市民が「言論の自由を守れ」と訴えて行進した場所だ。

 広場の中心には、フランス共和国を象徴する女性像「マリアンヌ」の記念碑がそびえ立つ。その周囲を、市民が持ち寄ったペンや鉛筆が今も取り囲む。同時に捧げられた花束と、記念碑のあちこちに落書きされた連帯の合言葉「私はシャルリー」――。

 

「高揚感」のあとが肝要

 2002年4月21日の深夜、筆者はこの広場にいた。今回と同様に、自由や民主社会の擁護を掲げたデモ行進の取材だった。その直前、午後8時にフランス大統領選第1回投票の速報が流れ、移民排斥を掲げる右翼「国民戦線」のジャン=マリー・ルペン党首が決選に勝ち残った。危機感を抱いた市民が「民主主義を守れ」と叫びながら、広場に繰り出した。

 いかに右翼が危険だとはいえ、それが民主主義の根幹を成す選挙制度の結果なのだから、本来なら「民主主義を守れ」と言うのもおかしなことだ。しかし、広場の熱気はそんな疑問をかき消していた。「右翼」という敵を見いだして、フランス人は団結ぶりを示した。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。