冬の台北の冷房サービス

執筆者:竹田いさみ2007年2月号

 冬の台北は室内でも寒い。喫茶店、レストラン、国際会議場、バス、タクシーでは、なんと「冷房」が効いている。はじめはエアコンの故障だと思っていたが、そうではなかった。国立台湾大学の周辺には、学生たちが出入りする洒落た喫茶店が軒を連ねる。冷房の効いた喫茶店で防寒着を身にまとい中国茶をすすりながら談笑する大学生を目撃したときは、さすがに驚いた。 雨がそぼ降る中、台湾大学を訪れると、どの教室も例外なく窓とドアが開け放たれ、学生はオーバーコートや厚手のジャンパーを着込んで授業を受けていた。暖房がないのは一目瞭然。寒風吹き荒ぶ教室で学生たちは居眠りもできず、必死に講義ノートをとっている。 暖房と無縁の生活が冬の台北には存在するということを筆者も「肌で感じる」こととなった。「冬に冷房」の理由としては諸説あるようで、台湾人は空気の滞留を嫌うとの説がひとつ。それで納得のいくものではないが、あえて深く考えずに、彼らの習慣として素直に受け止めることにした。このように想定外の事象に出くわすから、世界旅行はやめられない。 台北では、もうひとつの興奮が待ち受けていた。国民党の馬英九主席と時間を共有するという、またとないチャンスに恵まれたのだ。とかく内向きと言われる台湾人社会にあって、これほど国際性豊かな政治家が存在することに、少なからず衝撃を受けた。しかし馬主席の生い立ちを考えれば、その国際性も当然なのかもしれない。香港生まれ、台北育ちの外省人(中国大陸出身者とその子孫)。父親ら一族は中国・湖南省出身で、国共内戦後に香港へ避難した。馬英九は台湾大学で法律を学んだ後、国民党のエリート育成奨学金を受給して米国・ハーバード大学に留学し、法学博士となって台湾へ「帰国」した超エリートだ。蒋経国・元総統の秘書を皮切りに、党副秘書長(副幹事長)、法務部長(法相)などの要職を歴任し、閣僚級ポストの台北市長にまで上り詰めた。

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