東大医学部「教育改革」は道半ばか

執筆者:髙本眞一2015年2月7日

   1997年、母校の東大に胸部外科教授として戻ってきたとき、いちばん驚いたのは、私が卒業した約30年前と、カリキュラムがほとんど変わっていなかったことでした。教授たちは教育に興味を持っておらず、講義は教授の義務ではなく、むしろ自分たちの権利だと思っている様子でした。学生が、講義を聞こうが聞くまいが、まったくおかまいなし。出席しようが、出席しまいが気にしません。1学年、約100人近くいる生徒のうち10人しか出席しなくても、最終的に、期末のペーパー試験さえ受けて通れば問題なしとの風潮でした。

   東大の医学部の教授の関心は、もっぱら研究にあり、自分の講座から優秀な論文を発表するのに躍起です。私はそれを致し方ないとは思いませんが、そうであるのも仕方ないと納得する理由はあります。教授の評価は、研究論文の質と数でなされ、教育を一生懸命やっても誰からも評価されません。黙っていても全国各地から超一流の頭脳を持った人材が集まってくるのですから、教えることの努力などしなくても優れた人材をどんどん輩出できます。しかし、そういう考え方が悪しき伝統として何十年も続き、カリキュラムを根本的に変えようとする指導者はいなかったわけです。

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