常識を覆す墳墓が発見されるたびに、被葬者はいったい誰なのか、なぜそこに葬られたのかと、謎は想像力を掻き立てる。奈良県高市郡明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)のすぐ近くで発見された小山田(こやまだ)遺跡も、大きな謎を残してくれた。

 墳丘の一部と濠のあとが見つかり、一辺が50メートル超の巨大方墳で7世紀中頃の造営とわかった。石舞台古墳よりも大きく、飛鳥時代最大級だ。

 

即位をめぐる不可解さ

 橿原(かしはら)考古学研究所は、西暦641年に亡くなった第34代舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓ではないかと疑っている。舒明天皇は、天智・天武天皇の父親である。『日本書紀』には、皇極元年(642)12月、滑谷岡(なめはざまのおか。場所は不明。明日香村か?)に葬ったとある。年代が合致して、しかも王の墓にふさわしい規模なのだ。

 しかし、どうにもしっくりこない。小山田遺跡が蘇我本宗家の拠点・甘樫丘に近すぎるためだ。舒明天皇は蘇我全盛期に蘇我氏の後押しを受けて即位したが、この人物、なぜか蘇我と親密だったわけではない。ここに舒明天皇をめぐる、本質的な謎が隠されている。小山田遺跡の謎も、ここにある。

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