金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は2012年7月に当時の軍のトップであった李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長を粛清し、その後、度重なる軍幹部の異動や階級の昇格、降格を繰り返し、この3年間で金正日(キム・ジョンイル)時代の軍幹部を軍の一線からほぼ退かせることに成功した。

 金正恩第1書記は一昨年12月に朝鮮労働党内で大きな権力を保持していた叔父の張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長を粛清、処刑し、その後も党行政部など張成沢氏に連なる幹部たちの粛清作業を続けた。

 金正恩第1書記は軍と党で、自らを脅かす可能性を持った2人の側近を粛清することで唯一的領導体系という名の独裁体制の確立へと向かった。

 昨年12月は金正日総書記の死去3年目となる時であり、金正恩第1書記は「3年服喪」を経て、独り立ちへと向かおうとしている。

 張成沢党行政部長の粛清、処刑の衝撃が大きかっただけに、それから1年余を経て、金正恩時代の指導体制が安定していくかに見えた。

 しかし、昨年末から平壌で起きている事態は、金正恩体制が依然として安定したものではなく、金正恩時代の体制確立がまだ途上にあることを示した。

 金正恩時代に入り、金正恩第1書記が登用し、最側近とみられていた馬園春(マ・ウォンチュン)国防委員会設計局長と辺仁善(ピョン・インソン)総参謀部第1副参謀長兼作戦局長という党と軍の2人の最側近が相次いで粛清されたことが確認された。これは金正日時代からの幹部の粛清や引退とは意味が異なるだけに事態は深刻だ。

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