千年河清を俟つごときイラクの現状と曙光

執筆者:池内恵2007年4月号

 二〇〇七年に入って以来、中東を観察することを生業にしている人間にとってはいわば「凪」の状態が続いている。「中東情勢異状なし」――と一行で終わらせてしまいたくなることもある。もちろんこれはレマルクの小説『西部戦線異状なし』をもじった表現である。そして、前線では陰惨な死の光景が現出されているにもかかわらず、個々の死の持つ政治的な意味が弱まり、殺戮の合間に不思議な休息の瞬間が訪れる、という点でもレマルクの小説とイラクの状況は似通ってきている。一回のテロで数十人の死者がでることが、政治的にはほとんど意味を持たなくなり、ニュースとしても平凡な扱いしかなされなくなって久しい。 英BBCテレビが映し出す「いつもの」自爆テロの報道で、わずかに一瞬、各国のイラク・ウォッチャーの視線を奪い、郷愁を誘ったのは、三月五日のムタナッビー通りの爆破だ。『ワシントン・ポスト』は、十、十二日と相次いでこれを取り上げた。 十世紀の詩人ムタナッビーの名を冠したこの通りには書店が立ち並び、文人やジャーナリストの集う場所として知られた。カフェでフセイン政権への抵抗の実らぬ謀議が囁かれたこともあったという。バグダード陥落直後、各国ジャーナリストがここにつめかけ、「解放された」知識人を質問攻めにしたものだった。しかし、テロの標的にされて活況を失い、今回のテロによってついに通り全体が灰燼に帰したという。

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