「開発協力大綱」で考える「国益」援助論

執筆者:平野克己2015年3月11日

 2月10日に「開発協力大綱」が閣議決定された。これは前々身の「ODA(政府開発援助)大綱」(1992年)、前身の「新ODA大綱」(2003年)同様、日本政府が援助政策を実施する際の理念と方針を定めた文書だ。前身の新ODA大綱については、以前拙著(『アフリカ問題:開発と援助の世界史』日本評論社)で論じたことがあるが、あらためて少々大胆に要約すると、当時日本に流通していた援助に関する諸意見を万遍なく拾い、当たり障りないように纏めてあるというところではなかろうか。大綱は法律ではないから、枠組みを決めてそれ以外を排除するのが目的ではなく、どこまで取り込むか、そのための窓の大きさを示すのが役割だ。

 したがって、援助固有の政策目標について切り込んだ記述はODA大綱にはなかった。逆にいえば、当時援助政策の目的を明確化することにさして意義はなかったし、コンセンサスもとれなかったということだろう。前大綱作成の際は「国益」という言葉を入れるかどうかで激論になり、合意が得られなかったというのが当時の状況だった。援助政策の理念や目的についてギシギシ詰めなくても、否、詰めないことで“援助大国”日本は維持されていたのである。

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