100歳迎えた日米スパイの秘話

執筆者:春名幹男2015年3月24日

 この3月、日本と米国の元スパイが100歳の誕生日を迎えた。

 日本の元スパイは、陸軍中野学校の第1期生で、開戦前に南米のコロンビアに派遣され、中野学校校友会会長も務めた、東京の牧澤義夫さん。

 アメリカの元スパイは、日本語が堪能で、インパール作戦の背後などで戦略情報局(OSS)の謀略工作などに従事したエリザベス・マッキントッシュさん。

 偶然にも、2人は約20年前から筆者の貴重な知り合いでもあり、この機会に「100歳のスパイ」の業績と歩んだ道を紹介しておきたい。

 

パナマ運河破壊工作?

 牧澤さんは1915(大正4)年3月3日、山口県防府市に生まれ、旧制山口高等商業(現・山口大学)を卒業した。小野田セメントに入社、サラリーマンをしていて徴兵され、陸軍に入隊した。千葉歩兵学校通信隊に配属されたあと、「後方勤務要員養成所」行きを命ぜられた。これが実は、優秀な要員を集めて訓練した中野学校の発足だった。

 1938(昭和13)年7月始動した中野学校の第1期生は入学時19人、卒業時は1人減って18人だった。選りすぐりの教官には、後にインド独立工作に従事した「岩畔機関」の岩畔豪雄中佐(後に少将)や、戦後公安調査庁に入ったソ連専門家、甲谷悦雄少佐(後に大佐)のほか、変わり種には、フランス事情を教えた音楽家の山田耕筰氏がいた。

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