城山経済小説を読みなおす

執筆者:喜文康隆2007年5月号

「平準化・平均化・民主化の進行によって、恐るべき単純化論者、つまり文化的に洗練されていない粗雑な感性の持ち主、単純化された頭脳の持ち主ばかりの時代がやってくるという批判が出てきます」(生松敬三・木田元『現代哲学の岐路―理性の運命』)     * 記者生活を長くしていると忘れがたい取材があるものだ。それが記者としての評価にかかわるような取材だったかと問われれば必ずしもそうではない。むしろ、自分の精神のなかに深く沈み込み、何かをきっかけに、自分自身を試すような体験である。 横井英樹とはじめて会ったのは一九七五年、いまから三十年以上前のことだ。場所は、赤坂東急ホテル(現・赤坂エクセルホテル東急)のコーヒーハウス。当時、横井が大株主として登場した大日本製糖についての取材だったと思う。ちなみに大日本製糖は、政治家・藤山愛一郎の同族会社で、横井は同社株を手放す時に、同じく同族会社のホテルニュージャパン株を手に入れる。 横井は黒いスーツに蝶ネクタイを付け、笑みを浮かべながら独特のイントネーションで話した。そして注文したホットコーヒーが来るやいなや、テーブルの上のシュガーを四袋、五袋と開け、わたしのカップに注いだ。もはや、ふつうの人が飲める代物ではないが、横井は一向に意に介さない。しばらく経ち、それが横井の好意らしいとわかった。

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