大塚家具のお家騒動は、娘の大塚久美子社長の勝利で幕を下ろしたが、いつしか久美子氏には「家具屋姫」なるあだ名がつけられていた。じつに洒落たネーミングだ。もちろん、平安時代初期に成立した『竹取物語』の主人公の名をもじっている。

『竹取物語』のかぐや姫と養父・竹取の翁の関係は良好だったが、かぐや姫にはモデルとなった女人がいて、父を憎んでいたと筆者はみる。だからこそ、「家具屋姫」はできすぎなのだ。

 

「くらもちの皇子」の正体

『竹取物語』はただのお伽話ではなく、諷刺を目的にしている。すでに江戸時代、国学者・加納諸平は、かぐや姫に求婚する面々(石つくりの皇子、くらもちの皇子、あべの右大臣、大伴の大納言、いそのかみの中納言)が『公卿補任』(歴代朝廷の閣僚名簿)の文武5年(701)の段に記録された重臣たちとそっくりだったことを指摘していた。ただし、5人の貴公子の中でただひとり、「くらもちの皇子」だけが、モデルと思われる藤原不比等(中臣鎌足の子)と似ていない。当然史学者は、「無理矢理結びつける必要はない」と決め付けるが、むしろ「そっくりではない」ところに、作者の意図を感じずにはいられない。

「くらもちの皇子」は貴公子の中でもっとも卑劣な人物に描かれている。かぐや姫に「蓬莱(ほうらい)の玉の枝」を要求されると、蓬莱山に赴いたかのように装い、工人たちに玉の枝を造らせ、かぐや姫に贈った。ただ工人たちが支払われなかった工賃をかぐや姫に請求したため「くらもちの皇子」のウソが露顕した。腹を立てた「くらもちの皇子」は、工人たちを殴り倒し、金を巻き上げたのだった。

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