タクシン前タイ首相(五七)を昭和初期の日本に登場させてみよう。 彼は莫大な資産で作り上げた巨大与党を武器に、それまでのルールや権威を半ば無視した政治を推し進める。だがその手法は却って経済を活性化し国力を増すことにつながり、外交的得点を挙げるばかりか貧しい民衆からの支持も絶大。軍部の威信は低下し、既存勢力は苦々しい思いを募らせる。そこで、軍上層が“大御心”を錦の御旗に反撃に転じた。 こう考えると昨年九月の国軍によるタクシン追放クーデターの背景は納得できそうだが、その後の展開は、前代未聞の事態の連続である。 これまでは、国王がクーデター勢力に謁見を許し政権掌握を認めた段階で、ラグビー式のノーサイド。つまり旧政権関係者は、国王の威徳を前に政治の表舞台から静かに去ることで、在任時の不正蓄財などは事実上不問となる。こうしてタイ政治は何度もリセットされてきた。だが今回はこのメカニズムが機能せず、一向にノーサイドとならないのだ。 一九八〇年代初頭から国王の名代として国軍内外に大きな影響力を発揮し、政局安定の重し役を務めてきたプレム枢密院議長(八六)への批判が消えない。 内閣を監督し国政全権を掌握する国家安全保障評議会のソンティ議長(六〇)=陸軍司令官=の求心力は低下の一途で、スラユット暫定首相(六三)との意思疎通は良好とはいい難く、スラユット辞任や、国軍内の反ソンティ派によるクーデターの噂も絶えない。

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