煉瓦を運んでいた中国の安寿と厨子王

執筆者:徳岡孝夫2007年8月号

 インドのどこでもいいが、まあカルカッタの中央駅としよう。立ち止まって時刻表を眺めていると、足を引っ張る者がいる。驚いて見ると、靴磨きの少年である。「磨いてやるから靴をこっちへ出せ」と、身ぶりで言っている。 また、夜のバンコクで信号が赤だったから車を停めた。すると近寄ってきて、頼みもしないのにフロントガラスを拭く子供がいる。後ろには車の列があるし、信号は今にも変わるから、危なくって仕様がない。追っ払うよりはとポケットを探って、なにがしかのチップを与える。 アジアからヨーロッパ南部に至る広い地域で、子供たちは働いている。児童労働は必ずしも彼ら自身の遣うカネのためだけでなく、「マッチ売りの少女」のように、家計を助けている。ただし組織された労働ではない。 華北・西北部の山西省で摘発された児童労働と親による我が子奪還劇は、もっと組織的で陰湿な中国社会の裏面をえぐり出した。主に狙われたのは十代の子だから、もはや児童労働とは言い難い。ただ有産の者が無産の者を搾取する奴隷労働がそこにある。それは中国という社会主義が、建国いらい六十年近く、打倒しようと、暴虐の鉄鎖を断ち切ろうと、努力してきたはずの搾取である。

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