日米交流「先細り」で知日派絶滅の危機

執筆者:佐橋亮2007年10月号

日米関係を揺るがすのは、テロ特措法延長問題だけではない。中長期的には、米側の関心が中国に移ってしまうことこそが問題だ。 日米民間対話のシンボルといわれた「下田会議」の初開催は一九六七年九月、ちょうど四十年前のことだ。以来、昨年末まで国防長官の座にあったドナルド・ラムズフェルド氏が下院議員として下田会議や続く二回の議員交流で来日してからニクソン政権に入ったように、多数の米議員が訪日を重ね、日本を知っていった。少なくとも九〇年代半ばまで、日本への関心が米国にあった。 現在、一見すれば政治レベルでの日米関係は安定しているが、水面下では米議会や著名なシンクタンク、民間の将来のリーダーたちの関心は日本を「素通り」し中国にシフトしつつある。彼ら政権高官予備軍たちが中国というフィルターからアジアをみる、といった状況さえ生まれている。現政権から知日派の多くが去ったことはよく報じられているが、問題はより構造的だ。 いわゆる従軍慰安婦決議が七月三十日に米下院で成立したことも、ロビー活動や広報外交の敗北だけでなく、かつて日米同盟を支えた強い基盤が揺らいできたことを物語っているのではないだろうか。日本へ六人、中国は五十二人

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