夢中になったロダンとピカソ

執筆者:大野ゆり子2007年10月号

 一九〇〇年のパリ。「ベルエポック」(良い時代)と歴史家があとから振り返って呼ぶように、この時代のフランスは戦争もなく、町には街灯がつきはじめ、次々と普及する自動車、電話など新しいテクノロジーが、明るい未来を約束するように見えた。このムードの頂点となったのが、パリ万博である。 主催者だったフランスをのぞくと、日本から出展された作品の数は、米国、英国に続いて二十八国中三番目に多い。ジャポニズムといわれる、日本に対する並々ならぬ関心の表れだろう。その中でもセンセーショナルな話題をさらったのは、女優・マダム貞奴こと川上貞奴の演技であった。当時、一世を風靡していた「女優サラ・ベルナールでも及ばない悲しみの表現」と批評家は絶賛し、彼女の演技を見たロダンやピカソは強い霊感を受けた。 当時のピカソは、パリに着いたばかり。まだ名もない画家だった訳だから、誰が紹介したのだろうか。とにかく、貞奴は次回公演のためのポスター制作を、ピカソに頼んだようである。その原案は現在、個人所有で公開されていないが、ある画集でこれを見る機会があった。 日本髪の貞奴が、瑠璃のような深い蒼の着物に黒い羽織を着て、帯らしきものを前に締めている。その姿の右には、漢字を真似たらしい曲線が、十五文字ほど並ぶ。貞奴はこれを見て、ポスターとしての採用を拒否したそうである。

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