福田康夫は「徳川慶喜」になるのか

執筆者:田勢康弘2007年11月号

首相はたしかに交代したが政治情勢は何も変わっていない。福田首相のもとで、いかに堅実な政権運営が行なわれようと、閉塞状況は打開のしようがない。このままいけば「お城明け渡し」。徳川十五代将軍のように……。 もう六年以上前のことになるが、『寸前暗黒』という政治小説を書いた(黒河小太郎著、角川書店)。その前には同じ筆名で『総理執務室の空耳』(中央公論新社)を著した。「寸前暗黒」とは福沢諭吉の『文明論之概略』の中に出てくる言葉で、「一寸先は闇」と同じ意味である。 三十六年間、日本の政治を観察してきた。佐藤栄作から福田康夫まで二十人の首相について、ドラマチックに展開する政治という名の不条理劇を舞台の袖で見つめてきた。何が起きても驚かないだけの心の準備はできている。そう思ってきたが、何年かに一回は、それでも腰を抜かすほど驚くことがある。「安倍辞任」はそのひとつであった。 筆者は日本経済新聞のコラム「核心」(八月六日付)で「奇妙な首相続投の論理」と題する署名記事を書いた。これまで何人かの歴代首相に署名記事で退陣を迫ったことがある。記事が掲載されてから一カ月以内かそこらでそれらの首相は全員、退陣を表明したというのが、政治論評の職人としてのひそかな自慢でもあった。参院選での歴史的大敗にもかかわらず、安倍首相は続投を宣言したので、ついにこの記録は途切れるか、と思った。

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