いまや政治宣伝の場 変質した世界華商大会

執筆者:樋泉克夫2007年11月号

 九月十五日から十七日まで神戸と大阪を会場に、第九回世界華商大会が開かれた。一九九一年の第一回シンガポール大会を皮切りに香港、バンコク、バンクーバー、メルボルン、南京、クアラルンプール、ソウルと各都市華人企業家組織の中華総商会が持ち回りで隔年開催し、《中華》をルーツとする世界各地の企業家が一堂に集まって商機拡大を狙ったものだ。 第一回大会前後の東アジアは「成長のアジア」と喧伝され、華人企業家が旺盛なビジネスを展開する一方、中国は天安門事件の後遺症に悩まされていた。だから《中華商業文化》が共通する両者を結びつけることで、「双贏(win-win)」の関係を築こうというのが、大会を仕掛けたシンガポールのリー・クワンユー上級相(当時)らの考えだったはずだ。この目論見が奏功し中国経済を発展軌道に乗せたものの、周辺諸国は中国に脅威を感じはじめた。そこで華人企業家が一堂に会して中国市場における企業活動を論議することへの強い不快感が、周辺諸国から表明されるようになる。 第二回香港大会ではリー・クワンユーが「我々の企業活動の本拠は中国市場ではない。現に自らが住まう国だ」と言明し、第三回から第五回まで、大会当事者は中国市場との結びつきを極力薄め、自らが住まう国の政府を刺激することを回避するように努めた。だが九七年のアジア通貨危機と好調中国経済が、大会の性格を一変させた。

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