『複合汚染』
有吉佐和子著
新潮社 1975年刊(新潮文庫版は1979年刊)

 クラシックスというには、あまりにも今日的な課題である食の安全、環境問題をテーマとした作品である。連日のように、消費、賞味期限切れ食品の使い回しや、食品の偽装問題が報じられる毎日だから、なおさら、そう感じる。三十年以上も前の作品でありながらも今日を感じさせるのは、著者の先見性と、普遍的なテーマを選択する作家の眼によるものに他ならない。
『紀ノ川』『華岡青洲の妻』などの文芸作品で知られる有吉佐和子による『複合汚染』は、昭和四十九年十月十四日から朝日新聞朝刊の連載小説としてスタートした。日増しに高まる読者の反響を受け、八カ月半の長きに及んだ大連載である。
 ちなみに、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害問題に総合的に取り組む組織として環境庁が誕生したのは、昭和四十六年のことである。
 有吉は毎日の生活の中で、何気なく食してきた豆腐や魚などの身近な食品に危険が潜んでいることに興味を抱く。次々に湧く有吉の問題意識と、不安の源を解析する専門家による解説を織り交ぜながら、ルポルタージュのように綴られた作品は、文学作品の枠を超えている。
 有吉自身は、「告発」でも「警告」でもないと「あとがき」に記しているが、あきらかに文明社会への告発であり、警告である。むしろ社会面での連載のほうがしっくりきそうな内容ではあるが、小説欄に掲載されたからこそ、社会的インパクトが強かったともいえる。
 毎日の連載だから長文にはならない。ストーリーは一日毎にある程度完結しながら、続きの展開を期待されるものでなければならない。そんな小説欄の特性を生かし、読者を飽きさせることなく、ぐいぐいと問題に引きずり込むのは、小説家ならではの筆力に加え、主婦、生活者としての目線が、問題を身近に感じさせるからだろう。
 例えば、かつては米びつに黒点のように生息していたコクゾー虫への興味である。なぜコクゾー虫がいなくなったのか。米の生育時や種籾の際に使われるDDTやBHCといった農薬、あるいは土中の水銀、カドミウム、PCB(ポリ塩化ビフェニール)などが影響しているのか。
 その疑問を生物学や環境汚染の専門家にぶつけた有吉は、「実験してみないとわからない」との率直な答に驚く。そして、問題の複雑さを学びながら、「複合汚染」というキーワードにたどり着く。
「複合汚染というのは、二つ以上の毒性物質の相加作用および相乗作用のことである。分りやすく言うと、私たちはいま、一日に何百種類の化学物質、つまり農薬や添加物の入った食品を食べ、排気ガスや工場の煙で汚染された空気を吸って生きているのだが、この何百という数は足し算であって、相加作用を示すものである」
「一ツ一ツの物質に関していえば、私たちの口に入る量はごく微量であって、今日の生命を脅かすものではない。しかし微量でも、長期にわたって私たちが食べ続けた場合はどうなるのか。たとえばDDTやPCBは、水に溶けにくい物質だから、口から入ったら最後、汗や尿で体外に排泄されることがないし、分解もされにくい。だから躰の中にどんどん溜る。こうした結果が、人類にどんな影響を与えるかについて、全世界の科学者にはまだ何も分っていない」
 農薬、化学肥料、合成洗剤、合成保存料、合成着色料、排気ガス……有吉はありとあらゆる事象に目を向けながら、問題点を見つけ出し、原因と結果をわかりやすく説明する。
 そして、このままでよいのかと警告を発するのだ。
 時にレイチェル・カーソン女史が『沈黙の春』(一九六二年)で問題提起した殺虫剤DDTに触れたかと思うと、米カリフォルニア州で導入された大気汚染防止策としてのマスキー法を紹介し、あげくにホンダの自動車エンジン構造を勉強するために本田宗一郎氏に直に取材する行動力を見せる。

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