「防衛フィクサー」と呼ばれた男の肉声

執筆者:伊藤博敏2008年1月号

山田洋行事件で東京地検特捜部の家宅捜索を受けた日米安保サークルの「世話役」が、初めてインタビューに応じた。 ブラインドで少しだけ遮られた冬の日差しが、米軍関係の記念品や写真が飾られた部屋を照らしている。国会のすぐそばにあるマンションの一室。社団法人日米平和・文化交流協会(交流協)の事務所だ。十五畳ほどの部屋の主は、専務理事の秋山直紀(五八)である。 中背ながら体格はいい。二十歳の頃から永田町に出入りし、政治評論家・作家の戸川猪佐武(故人)の書生となった半生を、自ら「秘書歴が長い」とふりかえるが、ハッキリした物言いからは腕利きの商社マンのような雰囲気も漂う。 秋山は、交流協専務理事のほか、超党派の防衛族議員から成る安全保障議員協議会(議員協議会)の事務局長も務めている(議員協議会の中心は久間章生、額賀福志郎といった「新防衛族」)。交流協と議員協議会が主催する日米安全保障戦略会議(戦略会議)では事務全般を取り仕切る。 秋山の名前が「防衛フィクサー」として報道の対象となったのは、山田洋行事件がきっかけだ。 筆者は本誌前号で自衛隊の装備調達構造の変遷についてレポートした。故・金丸信自民党元副総裁が作り、小沢一郎・現民主党代表に受け継がれた日本戦略研究センター(日戦研・現日本戦略フォーラム)は、防衛族議員を軸に防衛官僚と防衛産業が集まる防衛利権構造の「要」だったが、小沢の野党暮らしが長引くにつれて力を失う。それに替わって一九九〇年代後半から「要」となったのが交流協である。逮捕された日本ミライズの宮崎元伸・前社長(元山田洋行専務)は、この構造変化に適応しきれなかった。

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